一生黒歴史

俳優オタクのメモ書きです。

コロナひとつ消せなくて申し訳ない

今年のことはずっと忘れないだろうな、、、といろんな意味で感じる2020年。
世界中でひとつのウイルスが大流行してたくさんの方が亡くなって、都会から人が消えて、病院はいっぱいになって、、、まるで映画のような出来事が起きててびっくりします。幸い私も家族も仕事を失うことはなかったし、身の回りの人たちが感染して大変な思いをすることもなかった。実家暮らしの会社員。家には家族がいるし、収入が消えても住めなくなる家や払えなくなる学費があるわけでもなかった。
ただただ、自分にとってとても大切にしていたことが「不要不急」だということを知った。

仕事をしていたのは生きていく為という以上に人生を楽しむのにお金と時間が必要でそのバランスを取れる職についただけなので、大きな目的であった「観劇」ができない今もうただただ生活をする為にやり甲斐があるわけでもなく働いている感じになった。

- チケットが持っていた価値は果たしてチケット代金とイコールなのだろうか

私が3ヶ月で払い戻したチケットは30〜40枚くらいだと思う。少ない方だとは思うけれど、全部「好き」の気持ちだった。チケットを取るときにどれほど苦労したか。友人に超お手数をかけまくってFCに入ったり申し込みを手伝ってもらったり、本当にお世話になってしまったし、迷惑だったろうと思う。友人たちも私が赤澤さんを大変大好きなことを知ってくれていて、「その為なら」と私に貸してくれた大切な時間だった。公演中止になると、処理としては「チケット代金の払い戻し」ということになる。でもチケットが持っていた価値は果たしてチケット代金とイコールなのだろうか、私はどんなことがあってもイコールにはならないと思う
券面金額が手元に戻ってきたと同時に、いろんな気持ちも帰って来てしまった。
発表されたとき、申し込むとき、当たった時、払った時、着ていく洋服を考えたり、現場で友人と何食べようか、飛行機はいつ抑えようか、この公演のことを考える時間すべてに付随していたワクワクとかそういうものの行き先はどこなのか、私の好きはどこへ行くのか、宙ぶらりんになってしまった。
あのチケット一枚一枚が持っていた価値は決して券面金額というお金だけじゃなく、その一枚を得るためにあった気持ち、嬉しい楽しみ大好きだとかそういうものだったり、お友達のご厚意だとか、そういうものと時間が全部全部詰まっているのがあの紙だったように思う。

- 自分が何者なのか分からなくなってきた

オタク行為に自分が自分であることを重ねている人は非常に多いと思う。オタク行為をすればするほど自分の居場所や存在がこの世にあることを感じる、「オタク」という名札が取れたら自分の名前も家もわからない、友達もみんなオタクであることで繋がったから、そうじゃなくなったら?とか
現場に行く、そのためにチケットを取る。チケットを取るというのは先述のとおりかなり手間と時間と気持ちがいる。公演期間の予定を調整することも、かなり難しい。私は現場に行くことを前提に融通がかなりきく仕事をそもそも選んだ。正直オタクじゃなかったら今の仕事をしている意味はあんまりなかったりする。まあとにかくチケットを確保し、実際に公演を中心にその期間の予定を組み、そして社会で労働をこなしながら客席に毎公演座る。というのはかなりハードワークで、それがあると他のことがほぼ何もできない。現場の間は部屋が物置みたいになって、私の家族はそれに慣れ切っている。その行為の全てで得た、例えばカーテンコールで拍手を浴び、満席の客席を見渡す役者の悦に満ちた瞳だったり、自分の応援が役者に伝わり返ってくる瞬間、そういうことがあるとこのために、この瞬間のために日々を生きてきた、と、生活や労働で渇いた喉が一気に潤っていく。以前鈴木勝吾さんが壇上で「自分にとっては板の上に立っている時間の方がよっぽど日常に感じる」と仰っていて、それは客席側もきっと同じで、生きていくことや働くことではなく、劇場の客席にいる時間の方がよっぽど日常だった。息がしやすかったし、その時間のことの方を強く記憶しているからかもしれない。
会場でみんなの推しの個人ブロマイドを配りあって、幕間に地方公演できる服の相談をしたり、マチソワ間もとりあえず飲んで、公演後のぼーっとし頭で会場前のコンビニでストロング缶を買って飲んでたら同じように友達が集まってきて、そのままお店に行って飲んで記憶なくして痣だらけになったり、そのあと会社に行ったり、仕事終わりにまたオタクと会ってブロマイドを眺めながら安いお酒を飲んだり、たまに奮発したり、その全てがオタクで、自我だったな、、と思う。くだらないことかもしれないけど。楽しかったな。
その潤いを、あの拍手がびんびん耳に響く感覚を、画面越しで味わえるわけがなかった。
演劇がない今、私は何者なんだろうか。なにもしていない。チケットをお金に戻し、インスタライブを観て、シアコンに課金し、何が起こるのを待っている。
今まで存在していたオタク行為が何にもない。何もできなかった。
それでも私は衣食住を満たしそれなりに楽しく生きていて、つまるところ私の日常は不要不急だった。

- 単純にコロナ消せなくて申し訳ない

マジ申し訳ない。めちゃくちゃ大好きで、普段あんなにたくさん元気をもらって、大好き大好きピーピーほざいてるのに、こんな大変な時にウイルスのひとつも消すことができない。なんて役に立たないオタクなんだろうかと悔しくて死にそうになった。これ私だけですか?友達に言ったらめちゃくちゃわらわれた、確かに冷静になったらすげー馬鹿馬鹿しいけど私は冷静さからは遠いアホなので本当に悔しくて結構これで毎晩泣いていた。
修行が足りなかった。好きが足りなかったと思ったし、実際には好きでどうにもできないことの前にオタク行為は無力だった。
マジで申し訳ない。コロナを指パッチンひとつで消せるような、私がアベンジャーズだったらよかったのに、どうしたらアベンジャーズになれてたかな、アメリカに産まれないと無理?そしたらオタクしてないか、じゃあアベンジャーズ説はなしだな、とか真剣に考えてた。暇すぎる。
「自粛期間でオタク辞められるかも!」ということが頭にないわけではないがこの状況下でそんな申し訳ないこと思えなかった。せめて待つことはしていたいなと思う。
私がもし、「不要不急」と言われたことを仕事にしていたら。そう思うと、言葉にできない。今までいただいてきたパワーや感動を想えばウイルスの一つや一つ、簡単に消して差し上げたい。なんでできないんだろうな。本当に申し訳ないな。
私がもっと真剣にオタク行為に臨んでいたらコロナを消せていたのだろうか。と、絶対そんな事はないけど、真剣に落ち込んだ。


また満席の劇場で沢山の拍手を板の上に立つ赤澤さんに送ることはできるだろうか、それを見つめて瞳を揺らす赤澤さんの刹那に心を震わすことは叶うだろうか。
わからないけど、今はとにかくコロナを消せないことが申し訳ない。