一生黒歴史

俳優オタクのメモ書きです。

オタク、「推し、燃ゆ」を読んだ (感想)

若手俳優のオタクをしている私はオタクをテーマにしたコンテンツが非常に好きで、小説「推し、燃ゆ」も勿論例外ではなかったので早速読んでみました。

通勤と休憩時間、計1時間半くらいで読了しました。文学ジャンルに詳しくないけれど、ライトノベルなのかな、すごく読みやすかったです。

 

以下簡単な感想。

 

面白かった。面白かった大部分は文章の力、圧倒的な迫力とみずみずしさ、小説としての構成の素晴らしさにあり、ストーリーはその2点をより魅力的にみせてリアリティをもたせる役割を担っているように感じました。全てが最高な方向に作用していてすごかった。バランス感覚というかもうフルスロットルな感じがしました。

この物語を読んでオタクであるわたしは意外にも推しが燃えたという出来事ではなく、主人公である少女が大人になっていく過程に惹かれたように感じました。

勿論びっくりするほど"あるある"に満ちていたし、共感する部分や友達に似ているな、と思うところがあったり、手にとるようにその状況を思い浮かべることができたのも楽しかったです。ただオタクがこの本を読むのはつらすぎる。滑稽で辞めたい。つらい。もう誰も燃えないでほしい。

 

主人公が推しを推すことを「背骨」と形容しているけど、この「背骨」はきっと誰にでもいろんな形で存在すると思う。勿論推しを推すであったり、社会の中で働いて功績を残すこと、美味しいご飯を食べること、お洋服を着ること、少年漫画の主人公ならスポーツに打ち込むことかもしれないし、いろんなことを「背骨」にして生きている人がいて、「推しが燃える」という出来事をきっかけに主人公の背骨が揺らいでいくさまが描かれていて、これは誰にでも起こり、共感し得ることだと思いました。

なのでどちらかというと問題はオタクの方が度合いやスタンスの違いで共感が難しいのかもしれない、というところになりますが、主人公は端的に言えば推しを推すということを背骨としているけど、その「推す」という行為に対して主人公の解釈が明確にあって、主人公は「推す」ことではなく「推す」の中にある選択や行動、感覚、どのような受動能動を背骨と呼んでいるのかがよく分かり、「推す」を定義づけて描写していないところもすごく良かったです。わかりやすく言うとわたしの友人の中にもCDを1枚買うことを背骨にしている人もいれば、主人公のように50枚、上を見れば1000枚単位を背骨にしている人もいます。その中でも主人公は購買の度合いではなく感情に重きを置いていたのがとても良かったです。

※リアルな話だとこの主人公は購買や発券への取り組みから察するに、「ザラに居る小物」として何者でもないと思われ、そこもまためちゃくちゃ現実的で辛い部分となります。

 

少女が大人になる過程を描く作品は沢山ありますが、その過程で起こる「自分を構成している要素を知る」という出来事がわたしは好きです。

映画「レディ・バード」では自意識過剰な主人公が自分を構成している要素が自分自身だけではなく、仲の悪い母親や自分が住んでいる大嫌いな田舎も含まれているのだということに気付いていき、主人公が家を出てNYの大学にいくシーンでは母娘の絆や街の美しさを感じることができます。

「推し、燃ゆ」では、「推す」ことを背骨としていた主人公がその推しという存在が「燃えた」ことをきっかけに自分のやってきたことというのには自分のやらなかったことも含まれるのだ、ということに気付いていきます。読んでいる私自身の立っている場所にも同じことが言えると感じましたし、推すという行為は圧倒的な能動なのにそのような感想を持つことも面白いと感じました。背骨、生きること、死ぬこと、燃えること、燃えたあとのこと、主人公を囲む環境や出来事の全てが「推しが燃える」ということに結びついていくのが本当によくできていてすごかったです。(ネタバレしたくないのでこの書き方に留めますが本当にこれはすごいので是非読んで欲しいです。)

 

主人公視点で語られていく物語の中で、質感が手にとるようにわかるあまりにも描写に長けている文章も、主人公自身に文才があるという設定によって作者が書いたことではなくより主人公が考えていることとして入ってきたし、ちょくちょく主人公の性質を描写していくことでつぎはぎのような主人公の感情にもより情緒が生まれているように感じました。雨が降ることと洗濯物が濡れることが結びつかない、という人はオタクに多いのではないかと何となく思いましたし(お金を使ったらなくなる、ということを理解していない人間が殆どだからです)、推しの瞳から感情を感じて、そこに生を見出す、ということも同じように思いました。

 

余談ですが私はアイドルという存在には結婚ということはほぼほぼ諦めたほうがいい、結婚しても推してもらえるようなアイドルだけが結婚してもアイドルで居ることができる、と思っています。アイドルと結婚したいとなんか1ミリも思っていなくてもです。それだけ推しを推すという行為で擦り減るものは膨大で、そこから捻出されたものでおまんまを食うのであればそれなりの対価があると思うのです。

 

推しが燃える、人が燃える、推しが人になる。

 

その過程が凄まじかった、とてもいい本でした。